本名は「一義」だが生まれる前までは「義一」と名付けられる予定だった。占い師から「義一」では頭でっかちな子が産まれると言われたため、「一義」になった。これは血の繋がりのない祖父が、尊敬している田中義一元首相にあやかって名付けようとしたが、「畏れ多い」と名を逆にしたもの。後年、タモリは「俺は姓名ともに逆さにされたからひねくれてんだよな」と語っている。タモリの家は関係が複雑で、まだ会ったことのない妹もいるという。
本人曰く、幼少より大人びており、「偽善」という言葉を知っていたと語り、幼稚園入園時期が迫り、園を見に行ったおり「ギンギンギラギラ夕日が沈む(童謡『夕日』葛原しげる作詞・室崎琴月作曲)」を両手を回転しながらお遊戯している園児達を見て、入園を拒否。小学校入学に至るまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていた。また「5歳が俺の精神的ピークだったんだから」と、冗談めかして語ってもいる。このため坂道好きとなり、後に「日本坂道学会」を設立している。
小学3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。
小学5年生の頃、予餞会(卒業生を送る会)で「喜劇カラス天狗」の台本を書いて披露したが、受けなかった。だが、脚本家として活躍している同級生と再会した際、「面白かった」と評された。スポーツにも興味があり、野球をやっていた。現在はラグビーなどのスポーツ観戦も興味があるという。
小学生の頃、祖母に「今の内から男も料理をするようにならないと、後々奥さんがいざと言う時に困るでしょ。私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、毎日祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけだという。この頃のことをタモリは「小学生時代は、学校から帰ると暇でテレビゲームもなければ、習いごともなく、人を見ているか、坂道を見たり、船を見たり、(祖母の料理支度の見学は)暇つぶしにはもってこいだった」と述懐している。そして、大学生時代に、余り金銭面にも余裕がなく、友人らと料理を作ろうとするとタモリ一人が大体の料理は出来て、だしの取り方まで全部覚えていたと語っている。
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