ポプラレス(羅: Populares)は、共和政ローマ末期の政治一派。日本語では民衆派、平民派と呼ばれる。
共和政ローマの政治を主導してきた元老院に対し、平民の支持を基盤に政治を行おうとした一派をポプラレスという(これに対し、従来通り元老院主導による政治を行おうとする者たちを総じてオプティマテスと呼ぶ)。
ポプラレスは、奴隷の労働力に依存する当時のローマ社会を是正するため、ローマ市民権を持つ自由民の社会保障や雇用に力を入れた。しかしそうした改革は、既存の権力機構である元老院からは快く思われず、両者は対立関係にあった。
ポプラレスと考えられる最初の政治家はグラックス兄弟である。彼らは市民集会を政治基盤とし、護民官に就任して改革を試みたが、元老院の抵抗に遭い改革は失敗に終わる。しかしこのときから、ポプラレスとオプティマテスの争い、ひいては内乱の一世紀の幕が開ける。
ポプラレスはガイウス・マリウスが執政官に就任していた頃に大きく勢力を伸ばしたが、ルキウス・コルネリウス・スッラが独裁官に就任するとその多くが粛清された。しかしスッラの死後、ポプラレスを称したガイウス・ユリウス・カエサルがローマ内戦を勝ち抜き権力を掌握、同時にポプラレスは最盛期を迎える。
その後、オプティマテスによってカエサルは暗殺されるが、彼の後継者であるガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス、カエサルの部下であるマルクス・アントニウスとマルクス・アエミリウス・レピドゥスによって第二回三頭政治が結成されると、オプティマテスが多数粛清された。その後、ポプラレス同士であるオクタウィアヌスとアントニウスの権力闘争となり、政治一派としてのポプラレスの意義は薄れていった。
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