日本における堕胎の起源は明らかでない。 近代医学の堕胎方法が確立する以前は、妊婦の腹を力任せに圧迫する(蹴る・踏み付ける等)、冷水や寒冷地方で冬の屋外の吹きさらしに長時間身を置いて早期陣痛を誘発する、劇薬・薄めた毒物や下剤・月経薬の多量服用で流産を誘発する、細い小枝や串を子宮内に挿入して妊娠組織を何回も刺す・掻き出す、などの様々な方法が行われ、母体の生命や健康に危険を伴うこともしばしばあった。 江戸時代は、正保年間までは、軒頭に公然、看板を掲出し、堕胎を本業とする者があった。正保3年、初めて「子をおろす術を禁ず」という布令が出され、寛文7年、看板の掲出が禁止された。 そのため堕胎を暗示する看板を掲出し、ひそかに業を営んだ。 本所回向院境内の水子塚の石碑は約1万の堕胎児を埋葬したものであるという。 堕胎業者の多くは中条流を称し、女医がこれを専門とした。 このほかにいわゆる間引きという堕胎を産婆が行った。 また、鍼灸においては、三陰交と合谷が堕胎の経穴とされている。
現代の日本では母体保護法第2条第2項により、人工妊娠中絶を行う時期の基準は、「胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期」と定められており、厚生事務次官通知等([6][7])により、現在は妊娠22週未満となっている(従って、人工妊娠中絶は人工流産とも呼ばれる)。なお、海外各国における法律上の中絶期限は、その地域ごとの文化背景や宗教観、福祉政策や経済的実情などを反映して大きく異なっている。
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